独り言

微食家指向

満腹

微食家指向

院長のひとりごと203

若い頃は好きな物をお腹いっぱい食べることに憧れました。
学生の頃はカレーなら3杯、食パンなら一斤、西瓜は半分位一度に食べていました。
しかし、年齢と共に代謝も衰え、食べることは太ることと思えるような今日この頃、今や完璧なフルメタボ人間です。
少し前までは、いっぱい食べたい欲求を抑えることに苦労しましたが、最近は満腹になることが必ずしも心地よくはなく、むしろ苦しく感じます。
かつては満腹と満足が同義語でしたが、今は全く別物です。
大好きなものを一口食べておいしさを噛み締めたら二口目はなくてもいいと思えてきました。
これ美味しかったなという余韻を味わう方が満足できます。
今は余韻と満足が同義語となりつつあります。
もう少し食べたいな、という思いが食べた物の味を一層高めてくれる気がします。
これはある意味怖いことでもあります。
それは再度同じ物を食べた時、こんなだったかなと失望するリスクを増すことにもなりかねないからです。
私は決して耽美主義的な指向はないつもりですから、私のこんな微食指向が三島由紀夫の金閣寺や徒然草の「桜は盛りを見るものかわ」に通じるものではないと思います。
ただ食べることが好きであるけれども、今は食べることそれ自体と同じ位に食べた時の感激・余韻を大切にしていきたい気分だということです。
そしてこれがメタボ対策に通じればいうことがないとも思っています。
栄養のバランスを考え極端な体重管理を避けることは、モデルの世界でも今は常識となっています。
ですからしっかり食べることはとても大切であり基本です。
飢餓が世界の死亡原因の第一位であることや、日本でのフードロス問題も深刻です。
「腹八分目」という言葉は今の若い世代には死語となっているかもしれませんが、どんな言葉でもいいですからそのコンセプトをもう一度見つめ直すべきではないでしょうか。
時々冷蔵庫を整理して翌日の生ゴミの日に、我が家のゴミ袋を出す時にその袋のずっしりとした重さを味わいながらつくづくこんなことを思う今日この頃です。