独り言

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

戦国の武将の生き様を表す歌に「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」という信長、家康、秀吉を例えたものがあります。

さて、なら私はどうだろうかと考えてみました。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」なんて、何でもかんでも自分に合わないものを切り捨ててしまうと、周りに何もなくなることは私でも分かります。

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と、じっくりと待つことは医療には欠かせません。
薬物にせよ何にせよ、患者さんに施した処置が効果を現すには時間が必要なことがままあります。
それは、理解できますが、人間関係でもとなると話は別で私には無理です。

「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」の句はその生き様を褒める人が多いですが、「何が何でも思い通りしてみせる」という、傲慢さにもつながる句ではないかと思うのです。
私は人生ならぬこともあるという、折り合いをつけることも大切ではないかと思います。
特に人間関係においてそう痛感しています。

私は大学の教官時代「大学院は義務教育ではないから、脱落することも本人の選択肢として認めるべき。」
とやる気のない学生にも無理矢理にでも学位を取らせる方針に反対して睨まれました。

「医学博士は足の裏の飯粒。取らないと気持ち悪いけど取っても食えない。」と揶揄されるような、博士の中で最も取り易いものであっても、私は教官としての最後のプライドを捨てたくない気持ちでした。

そんな私の考えを句にするなら「鳴かぬなら忘れてしまえホトトギス」でしょうか。
いくら指導しても理解してくれない学生、いくら話し合っても理解してくれない相手には、私はこの句の様に折り合いをつけ以後当たらず触らずで接しています。
人間叱られるうちが花といいます。
私も叱ってくれる人は今は唯一妻でしょうか。

でも、あれは殆どが叱ってくれているのではなく、怒っているのかも。