独り言

論文のレフリー

論文

論文のレフリー

院長のひとりごと110

久しぶりに論文のレフリーの依頼が来ました。
大学での研究生活を終えて10年近くになります。
止めた当初は、何回かレフリー依頼がありましたが、最近では全くなかったので少々驚きました。
以前は封書で依頼が来ましたが、今はメールに添付文書がついて依頼が来るようです。
私は基本的に、自分で出来る限りはどのような依頼も受けることにしています。
ですが、今回は即答せず少し考えることにしました。
研究生活を離れてはいますが、論文の内容を理解することは出来ますし、経験からの判断も出来ると思います。
コメントの英語には、最近書いてないだけにいささか不安ですが、何とかなるとは思います。
なら、何を迷ったかといいますと、自分の今の立場からレフリーをする資格があるだろうか、という点に悩みました。
今でもレフリーに指名してくださるエディターには感謝しているのですが、今回はお断りすることにしました。
この論文を書いた研究者がどんな人かは知りませんが、この論文を書くために、毎日研究活動を続けてきた現役の研究者であることだけは確かです。
そんな現役の研究者の仕事を、少なくとも研究活動においては既に引退した私が評価するのは、どうにも不自然な気がしました。
自分の研究生活時代を思い出すと、やっと仕上げた論文を投稿しレフリーからの返事を待つ間、ジリジリした思いでした。
おそらくこの論文を書いた研究者も、同じ思いで今返事を待っているのではないでしょうか。
そんな、熱い気持ちを十分に受け止めるだけの資格は、今の私にはないと思いました。
人間引き際が肝心といいます。
いつまでも女々しくすがっていることは、自分のためにも人のためにもならないと思います。
私はこの日をもって第三者に対して、自身の研究活動からの引退を告げることにしました。
レフリーを引き受けるか否かの返事も、ネットを通して雑誌のサイトに書き込むことになっていました。
断りの理由欄には、「私は、私が現役の研究者の研究論文を評価することは許されないと思う。」と記載しました。

2014年4月18日